花のみち(花びしに関する歴史ブログ)

船場の歴史

今でこそ日本の流通は東京が主ですが、ほんの50年近く前までは、大阪は東京と並ぶ流通の中心地でした。

「船場」という地は、北は土佐堀川、南は長堀川(現在の長堀通り)、東は東横堀川(現在の阪神高速南行線)、西は西横堀川(阪神高速北行線)で区切られた南北約2km、東西約1kmの地域のことを差します。名前の由来には諸説ありますが、古来この地域が「船着き場」であったことから、この名が付けられたというのが最も有力な説のようです。

(下:豊臣時代の大阪城下町)

東西方向の道を「通」、南北方向の道を「筋」と呼び、碁盤目のような整然とした町割りがされています。この基盤が作られたのは、豊臣秀吉の時代までさかのぼります。秀吉が大坂城を築城するとき、大勢の家臣団や武士たちがこの地に集まり、武器や武具、食料、生活用品などが大量に必要となりました。そこで平野や堺、京都、伏見から商業者を集め、城下町を形成したのが始まりです。船場の地に「伏見町」「平野町」と名が付くのはそのころの名残といわれています。

以後、船場周辺には船宿、料亭、両替商、薬種商、呉服店、金物屋などが次々に誕生し、政治、経済、流通の中心地となり栄え始めました。「船場商人」の名は全国に広がりを見せ、江戸時代には「天下の台所」「天下相場の元方」「諸国の賄所」として日本の商業の中心として栄えました。

船場の中心地のひとつに「御堂筋」と呼ばれる場所があります。今は大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する、大阪の象徴とも言われる大きな国道のことを指しますが、元々は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)をつなぐ道のことを御堂筋と呼びました。この「御堂さん(北御堂、南御堂の愛称)の鐘が聞こえるところにのれんを構えたい」と信心深い商人が集まり、「船場」の町を築いたと言われています。そしてまた、この願いが語りつがれて、大阪の船場で商売をすることは、商人たちにとって成功の象徴となっていました。

大正時代には、「大大阪時代」と呼ばれる大阪の華の時代がやってきます。大阪市営地下鉄御堂筋線の建設も同時期の出来事です。1926年に着工されたその工事は、元々幅5~6メートルしかなかった御堂筋を、北は梅田、南は難波にまで伸ばし、道幅を44メートルにひろげ、そのうえ地下に電車を走らせるという大規模なものでした。沿道の家が傾いたり、ひび割れたりという被害も報告されるほど、工事は困難を極めましたが、1937年に完成を迎えます。

(左:昭和2年、御堂筋拡幅前 ②)

(右:昭和4年、御堂筋拡幅後 ③)

あらゆる産業が栄え、流行と文化の最先端をいき、モボやモガが街を歩く、華やかで活気にあふれた時代だったそうです。当時東京銀座をぶらぶら歩くことを「銀ぶら」と呼んでいましたが、大阪心斎橋をぶらぶら歩くことは「心ぶら」と呼ばれていました。

(下:昭和20年、空襲を受けた直後の御堂筋 ④)

その後、第二次世界大戦が勃発し、国全体が大打撃を受けます。それはかつて大大阪と呼ばれた大阪も例外ではありませんでした。その姿は、御堂筋の両側に焼けたただれたビルの残骸がぽつりぽつりと立っていただけだったといいます。商人の憧れだった南北の御堂さんも空襲で焼かれ、瓦礫でうずまる地となりました。1950年に発足される心斎橋卸連盟の初代理事長、嘉門国松氏と事務局長、猿田安美氏が中心となり、赤茶けたスコップで瓦礫を避け、道幅を広くするところから復興は始まりました。戦後需要や朝鮮戦争の影響もあり、日本の経済は奇跡の回復をみせます。船場もまた、浮き沈みをくりかえしながら回復と成長を続けていきました。船場商人の憧れであったふたつの御堂さんも、北は1964年に、南は1961年に再建されています。

秀吉の時代からおよそ500年、町の姿は時代とともに大きく変わってきましたが、戦後70年を経てなお、船場は大阪企業活動の中心地です。中央大通りには東西に長く船場センタービルが建ち、道修町には製薬会社の本社が、また船場界隈には金融企業、大手企業が本社を構えています。

(下:明治中ごろの北久太郎町 ⑤)

花びしの本店・本社を置いている大阪市中央区久太郎町あたりでは、明治年代、花農家たちが毎朝、四季折々の花を並べて、御堂の香の煙とともに美しい風景を作っていたといいます。そのような場所で、今私たちが造花卸を営んでいるというのは、なんとも不思議なご縁です。
今でも時折、御堂さんの鐘が花びし本社にも聞こえてきます。
このご縁を大切に、歴史深く誇り高い船場の地で、花びしは胸を張って商いを続けていきたいと思います。
【参考文献】
なにわ研究会 編 『大阪まち物語』(株式会社創元社,2000年)
大阪心斎橋筋卸商連盟 『せんば 心斎橋』(1970年)
熱田親憙 著 『御堂筋ものがたり』(株式会社かんぽう,2009年)
※ ① 『大阪まち物語』(株式会社創元社,P53)
※ ② 『大阪まち物語』(株式会社創元社,P225)
※ ③ 『大阪まち物語』(株式会社創元社,P225)
※ ④ 『せんば 心斎橋』(大阪心斎橋筋卸商連盟,P61)
※ ⑤ 『せんば 心斎橋』(大阪心斎橋筋卸商連盟,P67)