大正13年 初代 佐橋 常一 屋号:佐橋造花製作所として大阪下町で造花製造業を始める。
主に、葬祭用と開店用花輪に使われる。最盛期は20名程の社員と、50名程の内職者で製造が行われていた。菊の懸崖づくりで、大阪市長賞を受ける。
昭和35年 二代 佐橋 道次 屋号:サハシ造花として後を継ぐ。
それまでの、すべて職人仕事から機械を導入し、量産化に入る。
この頃海外より、ホンコンフラワー、遅れてシルクフラワーが入り、国内生産が縮小を始める。とりわけ安くて品質の良いシルクフラワーにより、造花製造業は打撃を受けた。店舗用・商業施設用のディスプレイに活路を求める。
昭和53年 三代 佐橋 武 それまでの造花製造を取りやめ、新しく高級アートフラワー(布花)の製造を始める。
全国の主にデパート・専門店にメーカー直販する。とりわけ関東では人気を博し、一定のブランドを築く。後に友禅染や、草木染を取り入れた染め花にも研究を拡げる。
昭和56年 株式会社花びし設立。
当時国鉄(現JR)構内に、造花の催事販売の許可を得る。JRへの移行までの数年間、全国の駅構内での販売権を頂く。KIOSK以外では数社のみの、数少ない物販権利であった。現在の駅ナカビジネスの礎となる。
昭和60年 この頃より、アスカブランドが高品質のシルクフラワーを輸入し、造花業界の大きな変革が始まる。
高品質化に伴いその用途が広がり、マーケットが一気に拡大する。花びしもその取扱いを全国に広げ、製造業と卸業の二本柱となる。
平成7年 船場心斎橋に移転、同時にプロ向けの直営店を始める。
メーカー・卸・小売のSPA事業であったが、暫らくして一旦製造は中止となった。
平成15年 和雑貨とアジアン雑貨、飛騨高山家具、インテリア雑貨、インテリアフラワーの総合大型ショップを、本店横に開店する。
全年代層向けだったが、大正ロマンの雰囲気もあり、とりわけシニアにとってひとつのテーマパークの要素があった。そのため大変人気を得た。優良店舗である大阪市長賞の、最優秀金賞を頂く。
平成17年 諸事情により、一旦事業を縮小する。
平成22年 株式会社花びし 第二の創業をスタートする。
大阪駅前にプロ向けの花びし和じあん梅田店開店。
平成24年 大阪駅前にプロ向けのZouka-ya花びし店開店。
平成26年 本店・梅田2店舗をリニューアルし、プロ向けから一般顧客向けショップに業態転換を始める。
モール・デパートのショップ展開の準備に着手し、ブランディングに取り掛かる。同時にウェブサイトの充実と、ネットショップの準備も始めた。

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